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【メルマガ】自由のパラドックス:ルールを見直す旅

自由への憧れは不自由だからこそ感じられる。

いざ、自由になってみればその扱いに戸惑い始める。

そんな時期を経てルールをそれとして楽しみ始める。

自らルールを作ってみる。


サッカーは手を使ってはいけないという縛りがあるから成立する。

なんでもありならもはやサッカーとはいわない。

以前無職の期間にそんなことを思ったことがありました。

自由すぎて不安だ。。。眠れん!!

会社というルールの中で生きていたところから、ルールがない自由を手に入れたのに

この不安は何なのだろう?

それまでどれだけのルールの中で生きてきたのだろう?

中高と運動部に入っていたけれど、当時もガチガチのルールの中で生きてきた。

何十年と親のルールの中で生きてきた。

会社に入れば会社のルールの中で生きてきた。

そしてそれは私の中でそれらは守らなければいけないものとして

生き方の指針になっていた。

無職になった時に今までと違い、そのルールのないことが不安になった。

あれ、ルールって会社にいたからあったのか!?と

当たり前のことにあらためて気がつきました。

おや?ルールって絶対的なものではないんだ?

なぬ?自分で作ってもいいのか?笑

でもどうやって?

あ、決めればいいだけか。

決めるったどうやって決めればいいのさ?それすらわからない。

自分でルールを作ってそれを守っていく。

自ら考える。

人によっては当たり前の習慣も私にとっては当たり前ではなかった。

人に決めてもらった方が楽だな。。と、何度思ったことだろう。

でも、それが嫌で堪らなかったんだ。

一体どういうこと!笑

何が心の中で起こっているんだろう?

基礎から土台を作りなおしていくような作業がはじまった。

小さなルールを作ってそれを遂行していく。

「私はこう感じる」と紙に書いてみる。

そのうち、心の中に芯のようなどっしりと支えてくれるようなものができてきた。

大きなことではなく小さなことから少しずつ少しずつ。

それでもできないものは更に小さく小さく。

そんなことをしているうちに、ルールとはとてもニュートラルなものなんだなと思った。

場所が変われば一瞬で変わってしまうもの。

他人が作ったルールの中でいかに楽しんでいくか。

そして、自らのルールも作っていく楽しんでいくこと。

世界は思っているよりも柔軟らしい。笑



サクラクレパス:水彩紙

先日のもしゃ会で描いたオディロン・ルドンの「グランブーケ」という作品。

ルドンはモノクロで暗い絵ばかり描いていましたが、50代に入り家族を持ち

どんどん絵の中に色を使い始めた。

ルドンは何を思ったのだろう?


オディロン・ルドン「グランブーケ」