整うことと、予測できない流れのあいだで

先日富永駿さんのピアノ・リサイタルに行ってきました。前半と後半に分かれた構成がとても気持ちよかった。クラッシックはあまり詳しくないが、音を浴びに行く感じで私にとっては「音のシャワータイム」に近い。

今回も誘っていただき、濃い時間を過ごすことができました。知らない曲に出会うと驚きと楽しさで胸が躍る。

聴いていて、音が体に直接入ってくるような感覚があった。

目を閉じていると、音は耳だけでなく、皮膚に触れるように広がっていく。 その中にいると、自分の輪郭が少しずつ薄れていくような、不思議な感覚があった。

前半は整った構造の中にいる安心感があったが、後半になるにつれて、少しずつバランスが揺れ始める。 不協和音に近いぎりぎりのラインなのに、それが崩れずに保たれている。 その緊張感が、どこか心地よく感じられた。次にどんな音が来るのかわからない、来た音にその場で波乗りしているようだ。

今回、曲目の順番による聴かせ方も印象的だった。絵でいうと構図のようなものかもしれない。

思えば、自分が絵を描いているときにも似た感覚があった。 安心できる状態は落ち着くが、それだけではどこか物足りない。

少しだけ揺れている状態。 完全に整っているわけではないが、崩れてもいない。

そのあいだにある感覚に、自分は惹かれているのだと思う。

音は、時間の中で自然に流れ込み、身体に直接届く。 それに比べると、絵は自分から入っていくもののように感じる。

五感で捉えるというよりも、ただ「感じる」ことに近い。感じることも使っていないと錆びついてしまったりもする。

うまく説明はできないけれど、そういう感覚に触れているとき、自分の中の何かが少しだけ動いている気がする。



Art sound journal

線と色をめぐる創作と対話のアーカイブ。 線画、絵本、言葉、そして日々の問いを通して、 「見る」と「描く」をもう一度ひらいていくブログです。