ヒルマ・アフ・クリント展と、私の線の行方

少し前に東京都近代美術館で開催中の「ヒルマ・アフ・クリント展」に行ってきました。

ヒルマ展、正直ちょっと気になる程度で行ったのだけど、でもあの日、何かがズレた、いや

「ほどけた」

植物画家として生計も立てながら、40歳頃から「高次の存在からの指示」によって抽象 画を

描き始めた彼女。ちょっと怪しげですが。笑

見た感想は高次の次元から描かれたのかは正直わからなかったけれど、なにか心がほどけて

いくような気がした。意味とか意図とかぶっ飛んでいるといいましょうか。

「意味とかそんなものしゃらくせ~」みたいな。

「描く動機」が強すぎて、評価や発表が“後回しどころか不要”だった彼女。

作品が“自己表現”じゃなく、“宇宙との共同作業”だから

「私が生きてる間に受け取られなくていい」と本気で思ってた。

つまり“作品よりも、描く行為そのもの”に自分のすべてを注いでいた。

何かを作っていても、発表することに興味がない。でも、それをするのはやっぱり好き。

ヒルマ・アフ・クリントの絵は、そんな人の胸に、静かに届く気がします。

“表に出さなきゃ意味がない”という声に揺れたとき、自分の線の意味を思い出させてくれるか

もしれません。