【メルマガ】ジョアン・ミロもしゃ会~わからなさに惹かれて
「絵って、答えがあるわけじゃないよな」そんなことをよく思う。
描けば描くほど、うまく言葉にできない何かが残る。
でもそれこそが、描くという行為の醍醐味なのかもしれない。
そんな気持ちを抱えながら、先日のもしゃ会では
ジョアン・ミロの作品『North-South』を模写した。
ミロは、迷いを捨てたのではなく、
迷いと一緒に絵の中に住むことを選んだように思う。
はっきりさせない線、語りすぎない色、余白に残る「わからなさ」。
それは不安定さではなく、あえて選んだ不完全さ。
「描くことは説明ではない」
そんな信念を、彼は線のひとつひとつに託したのかもしれない。
意味をつけようとすると逃げていくような、
でも確かに「ここにある」と思わせる不思議なかたちたち。
ミロの絵を見ると、私たちは答えではなく問いを受け取る。
「これでいいのだろうか?」
「わたしの中の何かが、これに反応しているのはなぜだろう?」
そして思う。
絵を描くことは、迷いながら歩くことそのものだ。
説明をやめた瞬間に、線は呼吸を始める。
それはとても詩的な営みだ。
【ChatGPTに問いの立て方を聞いてみました】
違和感に気づく:「なんかモヤモヤする」→ここ大事。
わかったつもりを疑う:「ほんとにこれがすべて?」
線や空白に訊ねる:「この沈黙は、私に何を伝えたい?」
自分を主語にする:「私はこれをどう感じる?」
問いのままにする勇気をもつ:「今、これを理解しなくてもいい」
なぜかミロの絵を見てると、「説明しなくてはいけない」というプレッシャーじゃなく、「説明できなくてもいい」という自由をもらえる気がする
ちょうど今、東京都美術館でミロ展開催しています。7月6日までなのでお近くの方はぜひ
行ってみてはいかがでしょうか?残り少ないですが私も行ってみようと思います。
【お知らせ】
『The Cabinet of Lines』
線が導いた、小さな旅の記録。
絵と英語の言葉で綴った、静かな絵本です。
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