同じ絵なのに、空気が変わる──英語と日本語、それぞれの「線の本」
「The Cabinet of Lines」の日本語版を制作しているとき、不思議な現象に出会った。
まったく同じ絵、同じページ構成なのに、言語が変わるだけで本全体の空気が変わるのだ。
最初は「線の標本室」というタイトルにする予定だったがレイアウトしてみるとまるで図鑑のようになってしまったため却下。
英語版では、線と空間の対話が「静かな旅」に感じられた。
一方で、日本語になると、その旅はぐっと「内面の気配」へと寄っていく。
絵そのものは変わらない。でも、言葉の質感が絵に落とす影が違う。
この違いに気づいてから、私はレイアウトを少しずつ調整しはじめた。
文字の配置、余白の取り方、フォントの選び方──微細な違いが、作品全体の呼吸を整えていく。
たとえば、英語では中央寄せの一行が、静けさの中に鋭さを持って響いた。
日本語では、同じ位置にあっても、その形状やリズムが変わることで、
線のゆらぎと呼応するようなやわらかな広がりを見せた。
この経験を通じて気づいたのは、言葉と線は、静かに影響しあっているということ。
そして作品は、「翻訳」ではなく「再構成」なのだということ。
絵が言葉に合わせるのではなく、言葉が絵と対話する。
それがこの絵本の根っこにある、小さな実験であり、冒険だった。
大きく変えたのは表紙のみ。表紙は英語版と同じレイアウトだとなんだか昭和感が満載になってしまったので。とても面白い体験でした。
もう少しで日本語版も出版できます。
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